2010年05月20日

『世界平和は思ったより簡単に訪れる。』




オレの知らない遠い世界でまた戦争が起きそうです。

なんでだろ?

相手が怖いから?わからないから?

そんなの当たり前じゃん。他人なんだから。

結局きっかけはどっちからか発せられたウソの約束とかそんな小さな事。

子供のケンカのきっかけと同じです。

これは、カマをかけたほうも乗っかったほうも悪い。

喧嘩両成敗、大人だったら知ってるでしょ。

お互い「ゴメンナサイ」くらい言えるでしょう。

そういった権限を持ってる方々が振り下ろす拳は、何千何万の人を殺める。

そして、それ以上の人たちを悲しませる。

頼みますよ。子供じゃないんだから、

大人だったら自分の発言には自分の人生はもちろんの事、周りの沢山の人たちの人生を変えてしまうかもしれない力があることはもちろん解っていると思います。

自分の発言には最後まで責任を持つ。
もちろん人間だから誰だって失敗する。
そしたら謝ればいいじゃん。

謝れば済む問題じゃない事もある?

じゃあ殺す?

それで気が済む?

殺されたから殺して、殺したから殺されてそれでホントに平和になるのかよ!

ってカガリが言ってたでしょ。

そこで謝れる人ならちゃんと責任とれるでしょ。

それで怨みを持つ方が悪だと思うな。

だってこの怨みの連鎖止まらないでしょ。

たったそれだけで、
みんながたったそれだけ守れば…



ネ。

簡単なはず何だけどね。

オレはそんなに責任取れないから、孤独を求めてるのかもなぁ。

なるほどねぇ…

スタジオ行ってきます。


posted by 竜矢 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

俺的人間論『愛』




愛は好きとは違う、

愛しているから付き合って欲しいとか、そばに居て欲しいとか、そういうものではないし、それは本当の愛とはいえないと思う。

この場合は好きがあてはまるとだろう。

本当に愛している相手に何か見返りを求めたりしないだろうし、反対の立場であれば、好かれていると思うだろうが、愛されているとは思わないだろう。

では何が愛か、

まずは子を思う親の気持ち、
子供を一人前に育てること、実際これには莫大なお金がかかる、大学まで入れた子供にかかる費用は全て合わせると2千万円位掛かっていると聞いた事がある、だがこれを子供に返せと言う親はほとんどの場合いないだろう。お金だけでなく自分の時間を子供に割いているだろうし様々な負担があっただろう。

家族の為に働く事
自分で汗水垂らし、頭を使い、胃を痛めて稼いだお金。そのほとんどを家庭に納め社会と戦っている父親または、今時は母親もそうだろう。

例を上げれば他にもあるだろうが、こういったことを考えると愛は無償であり、頭で考える事ではなく、本能的に、ときには反射的に見返りを考えずそういった行動をしたり、思ったり出来ていること、その原動力が愛なのではないかと思う。

相手が家族などじゃない場合、相手のその行動が愛なのか、欲なのか、判断に迷う事が多いだろう、そばに居たいために優しくしたり、何か叶えてくれたりの場合は「そばにいたい」という見返りを求めているため愛ではなく、己の欲のための行動であるといえる。本当に幸せのたの行動であれば、そのことに行動してくれ、その後のことは考えていないだろう、考えるとすれば、その後のその人の幸せを願う事ぐらいだろう。

それが愛の形だと俺は今のところそう考えている。


posted by 竜矢 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

俺的人間論『存在価値』




この世に在るもの全て価値が付けられている。

それをわかりやすく一人称によって付けられたものが価格

でもその価格も妥当だと思う人もいれば高いと思う人、安いと思う人それぞれいる。

だから敢えて一人称によって付けられたと前述しました。

ということは、そもそも全ての存在の価値は一定だといえる。

そこに人間特有の欲を欲の分だけ上乗せしたものが価格となりえる。

例えば、自分が一生懸命に時間とお金を使って作り上げた物をある人に「タダでいいよ」と言えばただになる。
また反対に受け取る側が「これはいくらで引き取る」といえばそれが価格になる。

というように、全ての物の価値は一定であり、それを産み出したものと、それに興味があるものの欲によって変動する。

それは命も同じ、だから強盗みたいなことが起こる。

そこにいる命よりそれが持つお金の方に価値を感じ傷付けてまで得ようとする。

反対にその傷付けられた命を何物にも代え難い位に価値を感じている物が居る。
(愛についてはまたお話します。)

だからこの世に在る全て物、命の価値は原則一定である。

と、少し仏教的な考え方に最近行き着きました。

まぁあくまでオレの現時点での持論ですので、


posted by 竜矢 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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